洛陽三十三所観音霊場めぐり・第二十二番札所

「洛陽三十三所観音巡礼」、約百年ぶりに復活

 この洛陽観音霊場は、資料(*)によると平安時代の末期、後白河上皇が広域で巡礼が困難な西国三十三所観音霊場に変えるものとして、洛中の観音仏の中から定めたのが起源とされる。日帰りで巡拝できることから都の人々の間で広まったが、応仁の乱(1467〜1477)などによる社寺の焼失・荒廃で衰退した。
*資料:「洛陽三十三所観音巡礼」
平成洛陽三十三所観音霊場会編集・発行

 江戸時代に入った寛文5年(1665)、霊元天皇の勅命により第一番礼所・六角堂(頂法寺)に始まり第三十三番礼所・清和院に終わる新しい順路で中興された。中興により観音霊場となった寺院は、息災・治病・安産・壊胎などそれぞれの利益を説いて盛んに参詣客を集め、江戸時代中期以降、最も盛んとなり明治時代まで多くの人々が巡拝し浸透した。しかし、明治維新政府が打ち出した神仏分離政策で再び廃れた。以後百余年が経過した平成を迎えて、幾つかの札所が替わり復活した。

>>平成洛陽三十三所観音霊場会オフィシャルサイト