薬院社の由来

烏丸町の鎮守さま

 薬院さんの名で親しまれている「薬院社」は元の名を施薬院稲荷といいます。江戸時代から明治にかけて私たちの街「東九条」は、京と伏見を結ぶ竹田街道を中心に、烏丸御領(霊)宇賀辻子の三つの集落があり、藍やネギやくわいなどの田畑がうち続く豊かな農村でした。人々は春の稲荷祭に五穀豊饒を祈り、実りの秋を鎮守さまに感謝しました。

薬院社

 それぞれの集落には産土神・鎮守さまとして烏丸の薬院さん、 と宇賀辻子には宇賀神社があり、人々は子供の誕生から健やかな成長や農作業の無事を鎮守さまに願いました。
 平安の昔、新町通り東寺道下ル西側に左大臣藤原冬継(775〜826)が開設した施薬院(病院)があり。東寺道烏丸上ル西側辺りには施薬院御倉がありました。しかし鎌倉初期、これらの施設は他所へ移転し御倉後(上殿田町)には鬱蒼と木立の茂る薬院の杜に施薬院稲荷の祠が残り、烏丸の人たちが鎮守さまとしてあがめました。
 しかし文久二年(1862)一月、不幸にもお堂は火災で焼失しましたが、同年十一月には見事再建、復興しました。明治になって、辻堂廃止令が出され同十一年(1876)、施薬院稲荷は城興寺境内の荼枳尼天堂に合祀され、跡地は京都府へ寄贈されました。


病気平癒と夫婦円満のお稲荷さん

 荼枳尼天は、俗に女稲荷と言われ豊川稲荷(愛知県)と同じ仏様で、合祀されたことで薬院社には男女(?)のお稲荷さんが仲睦まじく鎮座されており、まさに夫婦円満のお稲荷さんです。
 私たちはそれぞれに信ずる宗教を持っています。しかし最も素朴で原始的な祈りは、その土地の神様鎮守さまへの祈りではないでしょうか。農業とは縁遠くなった今日の私たちですが、薬院さんは人々の健康で豊かな実りを見守っています。病気平癒と夫婦円満のお稲荷さん、それが薬院さんです。